のくだりである。

この後トロイの王でヘクトールの父親のプリアモスが大金と引き換えに息子の遺体を引き取りにアキレスのもとを訪れる。アキレスはプリアモスの嘆願を聞き入れて遺体を引き渡す。そして二人は同じ人間として悲しみを分かち合う。最後にヘクトールの葬儀が行なわれて物語は終わる。

しかし、この物語に感動するには、この物語を読む必要がある。もし、上に挙げたような日本語のホメロスの全訳があれば良いのだが、実はそんなものは存在しない。残念ながらここで紹介した翻訳はこれだけしかないのだ。ホメロスの和訳の全訳はいろいろあるのだが、残念ながらこれほど読みやすくはない。普通に楽しく読めるものは、子供向きに書き直したものしかない(岩波書店から出ているのピカードの『ホメーロスのイーリアス物語』。『オデュッセイア』の場合も同様で、高津春繁の『オデュッセイア』(筑摩)はこなれた訳だが、日本語がとても古い。ゼウスが女神アテネのことを「姫」と呼ぶのだ。松平千秋の新しい岩波文庫版にも「姫」が出てくる)

大人向きのものは、原作にはどんなギリシャ語の単語が使われているかを伝えることに熱心なものばかりである。しかもそうやってギリシア語の単語に対応する日本語の単語を一つ一つくっつけて直訳していくので、全体の意味としては間違っているということがしばしば起こる。しかし、学者が訳すとどうしてもそうなってしまうらしい。(一例を挙げると、上の「曙光がさしはじめるのに気づくと」の個所は岩波文庫では「曙の光を見逃すことはなく」と原文の単語の通りに直訳されているが、そのために「必ず曙の光を見て」つまりアキレスがいつも朝まで眠れずにいたという真の意味を表現しそこねている。この「見逃さない」は昔の呉茂一、田中秀央の訳も犯している過ちである)

しかし、全訳ではなく必要な部分だけをかい摘んで日本語の物語にしてあるものとしては、『世界神話伝説体系』(名著普及会)の中の『ギリシア・ローマの神話伝説(V)』が図書館などにあってなかなか読みやすい。またブルフィンチの『ギリシア・ローマ神話』(岩波文庫)の中にもかなり詳しい要約がある。

また、英訳なら沢山あって、その中にはかなり分かりやすいものが存在する。どうしてこれらの英訳から日本語に訳してくれないのかと思うほどである。ギリシア語から訳すにしても、せめて自分の訳をすぐれた英訳と読み合わせて、間違いを訂正することぐらいはしてもらいたいものだ。(上に挙げた過ちもこの過程で訂正されたはずである。なぜなら他の英訳は全てこのような間違いを免れているから)

しかし、とにかくホメロスの作品は、上の文に垣間見れるように、読んでおもしろく、感動的な作品である。ペンギンから出ている訳ならそれが分かる。有名なロバート・フィッツジェラルドの訳もあるが日本人には難しい。もちろんドイツ語やフランス語の訳でもよい。日本で手に入る程度のものなら、そこまで来る段階で選別されているので、悪いものはないはずである。逆に、日本語の訳の場合は、数がないので選別も何もなく世に出てくるので、良いものがない道理だ。(もちろんペンギンの英訳でもあまり良くないものも中にはある。例えばタキトスの『歴史』など)

ところで、今回ここに掲示した訳はこれまでの時代劇調の翻訳とは違った、現代の日本語で訳そうとする試みである。実際その方がやさしいに違い


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