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4]  しかし、そんな気持ちの中で、私は徳の力を徳自体ではなく、人々の弱さ、いやおそらく私自身の弱さから評価しては駄目だと自分自身を叱りました。というのは、もし徳が存在するとすれば(この疑いについては、ブルータス君、君の伯父さんである小カトー氏が晴らしています)、それは人間に起こりうる全ての事柄を自分より下に置き、それらを見下して人間の運命を軽視し、どんな欠点もなく、当てになるのは自分だけと考えているはずだからです。一方、私たちといえば、近づく不幸を恐怖によって倍化させ、目の前の不幸を悲しみによって増幅させ、自分の過ちを責めずに世の中の仕組みを責めようとするのです。

二 [5]  しかしながら、自分たちのこうした思い違いや諸々の欠点や過ちを治したければ、哲学を拠り所にすればいいのです。私は若い頃自分の意志で進んで哲学の懐に飛び込みましたが、逆巻く嵐に翻弄されて大きな不幸の真っ只中に投げ込まれた今、むかし旅立った同じ港に救いを求めて戻って来たのです。ああ、人生の先達、徳の探求者、悪徳の駆逐者である哲学よ。もしあなたがいなかったら、私だけでなく人々の暮らしはどうなっていたことでしょう。あなたは町を造り、ばらばらだった人々を共同生活に呼び入れ、最初は住居で、次には結婚で、やがて共通の文字と言語によって、人々を互いに結び合わせたのです。あなたは法律の発明者、倫理と秩序の教師だったのです。そしていま、私はあなたの助けを求めてあなたのもとに戻ってきたのです。以前の私は人生の大部分をあなたに委ねていましたが、今では人生の全てをあなたに委ねているのです。過ちに満ちた永遠の人生よりは、あなたの教えに従って立派に過ごすたった一日の方がよほど増しなのです。

[6]  ですから、私たちの人生に安心をもたらし、死の恐怖を取り去ってくれる他ならぬあなたの助けを、私たちは必要としているのです。それにも関わらず、哲学は人類への功績にふさわしい賞賛を与えられることはありません。それどころか、哲学は殆どの人から無視されるだけでなく、多くの人から悪口を言われているのです。自分の親の悪口を言うのは親殺しに匹敵する悪業です。自分の親の言うことは、たとえ理解できなくとも敬ってしかるべきです。それを非難するのは、人の道に反した恩知らずのすることなのです。ところが、私の考えでは、この思い違いと迷妄が無学な人たちの心を覆っているのです。なぜなら、彼らは遥かな昔を顧みることが出来ないので、初めて人類に文明をもたらしたのが哲学者たちだったとは思ってもみないからです。

三 [7]  このように哲学の実体は極めて古くから存在することを私たちは知っていますが、それにも関わらず、その名称はごく最近に生まれたことを認めねばなりません。というのは、人間の英知がその名前とともに古くから存在することは誰もが認めることだからです。それは神の次元の事と人間の次元の事に対する知識のことであり、あらゆる現象の原因を知っていることです。それ故に、古代の人々はこの知識に英知という素晴らしい名前を授けたのです。こうして、ギリシャ人から「ソフォイ」と呼ばれるあの有名な七人は、私たちによって賢者と認められただけでなく、そう呼ばれてきたのです。さらに何世代も前に遡ると、リュクルゴス(彼と同時代にホメロスも生きていたと伝えられています。それはローマ建国以前のことです)も、さらに英雄時代にまで遡ればオデュッセウスとネストールも賢者と認められて、そう呼ばれていたのです。

[8]  アトラスが空を支えている話、プロメテウスがコーカサス山に鎖でつながれた話、ケフェウス(=エジプト王)が妻(カシオペア)と義理の息子(ペルセウス)と娘(アンドロメダ)とともに星になった話が伝えられていますが、それは彼らが天上の出来事について知っていたお陰で、その名前が神話の中に紛れ込んだからなのです。そして、彼らを先例として自然現象の観察に熱意を注ぐ人たちが次々と現れましたが、彼らは全て賢者と認められて、その名で呼ばれたのです。賢者という名前はピタゴラスの時代まで使われていました。プラトンの弟子で第一級の学者だったポントスのヘラクレイデスによれば、ピタゴラスはフリウス(=ギリシャの町)に出かけて、その地の支配者であるレオンに学識あふれる講義を長々と行ったと言われています。ピタゴラスの才能あふれる話しぶりに驚いたレオンは彼に「君の一番得意な技術は何かね」と尋ねました。するとピタゴラスは「私は技術のことは何も知りません。私は哲学者なのです」と言ったのです。レオンはその新しい名称に驚いて、哲学者とはどういう人なのか、哲学者と哲学者以外ではどこが違うのか尋ねました。

[9]  それに答えてピタゴラスは次のように言ったのです。「私は人間世界は祭に似ていると思っています。というのは、祭にはギリシャ全土から大勢の人が集まって壮大な競技会が開かれますが、そこには身体を鍛えて栄光ある冠と名声を求めてやって来る人たちだけでなく、商売で一儲けしようとやって来る人たちもいます。その一方で、名声も利益も求めず、ただ見物するためだけに来る人たちがいます。彼らは生まれの良い自由な身分の人たちで、何がどのように行われているかを熱心に観察するのです。このように人々が別の町から祭の賑わいの中にやって来るのと同じように、私たち人間は別の世界から輪廻転生してこちらの世界にやってくるのです。そして、ある人は栄光を求め、ある人は富を求めるのですが、その一方で、そういった事は全く無視して、この世の成り立ちを熱心に観察する数少ない人たちがいます。彼らは、自らを英知の愛好者すなわち哲学者と呼んでいます。祭りの場では、自分のためには何も求めずただ見物する人たちが最も生まれの良い人たちですが、それと同じように、人間世界ではこの世の成り立ちを観察して認識することは、あらゆる営みの中で最も優れたことなのです」と。

四 [10]  しかしながら、ピタゴラスは哲学という名前を発明しただけでなく、哲学を発展させた人でもあります。フリウスでの会話ののち彼はイタリアに来て、いわゆるマグナ・グラエキアの住民と社会に優れた制度と文化をもたらしました。彼の教説については、おそらく別に述べる時があるでしょう。太古の昔からソクラテスの時代に至るまで、哲学者たちは数学と運動の法則と、万物の起源と帰結を扱っていました。また彼らは星の大きさと距離と軌道などあらゆる天体現象を熱心に研究していたのです。それに対して、アナクサゴラスの弟子であるアルケラオスに教えを受けたソクラテスは、初めて哲学を天上の世界から引き下ろして町に住まわせ、さらには家庭の中に招き入れて、哲学を人生と倫理と善悪の研究へ向かわせたのです。

[11]  ソクラテスは複雑な議論の仕方で様々なテーマを扱っただけでなく、偉大な人格の持ち主でした。


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