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20]  しかし、哲学がこの約束をどこまで実行できるかは後で見ることにして、差し当たり私はこの約束は高く評価したい。

 というのは、クセルクセスは、あらゆる運命の恩恵を受けていたにもかかわらず、騎兵隊にも歩兵隊にも大艦隊にも、無尽蔵の金塊にも満足せず、自分を満足させてくれる新たなものを見つけて来た人に褒美を出したが、欲望には際限がないので、満足することがなかったからだ。

 私は「幸福のためには徳だけで充分である」ことにもっと自信が持てるようにしてくれる人がいたら、懸賞を出して呼び寄せたいと思うほどだよ。

八 [21]  甲 私もそう思います。しかし、ちょっとお尋ねしたいことがあるのです。いまお話しになったことの中で、一方から他方が相互に導かれるという話には私も同意します。つまり、もし徳だけが良い事なら、幸福に生きるには徳だけで充分である。それと同じように、もし幸福な人生は徳次第なら、徳以外に良い事は何もないことです。ところが、アンティオコス(=アカデメイア派)とアリストス(=アンティオコスの弟、アカデメイア派)に従っているあなたの友人のブルータスは、こうは考えていません。というのは、ブルータスは、徳以外に良い事があるとしても、幸福に生きるには徳だけで充分であると考えているからです(=善には心の善、肉体の善、運命あるいは外部の善の三種類あるとするアリストテレスらペリパトス派とアカデメイア派の考え方)。

乙 すると、君は私にブルータスに反論しろと言うのかね。

甲 それはお好きなように。私は進行役ではありませんから。

[22] 乙 ブルータスと私のどちらに一貫性があるかについては、後で話そう(=30節以下)。君の言う意見の相違は、しばしば私とアンティオコスとの間でもよくあったし、最近ではアテネで最高指揮官としてアリストスの家に泊っていた時、アリストスとの間でもあったことだ。私は「人が悪い事に取り囲まれている時には幸福にはなれないが、もし仮に肉体の苦痛と不運が悪い事なら(=ペリパトス派の言うように。23節参照)、賢者は悪い事に取り囲まれる可能性があることになってしまう」と言ったんだ。

 それに対して彼らは次のように言っている(この主張はアンティオコスは色んな所で繰り返しているものだ)。「完璧に幸福に生きるためには徳だけでは充分ではないが、幸福に生きるには徳だけで充分である(=心、肉体、運命あるいは外部の三つの善を完備した幸福をペリパトス派は完璧な幸福と考える)。たとえ完璧でなくても大体の内容から名前が付けられるものは沢山ある。例えば、力、健康、富、名誉、栄光などがそうで、これらは部分ではなく全体から判断される。それと同じように、幸福な人生も、たとえ何かが欠けていたとしても、大体の内容からそう呼ばれる」と。

[23]  今この説を詳しく紹介する必要はないが、私はこの主張は一貫性に欠けていると思う。なぜなら、幸福な人間がもっと幸福になろうとして何かを求めるとは私には思えないからである。そもそも、もしも何かが欠けているとすればその人は幸福ですらない。さらに、大体の内容から判断されて名前が付けられることは、それが当てはまる場合もあるだろう。だが、ペリパトス派が「悪い事には三種類ある(=心、肉体、運命あるいは外部の悪)」と言うときに、その内の二種類の悪い事にことごとく悩まされて、あらゆる悪運に付きまとわれ、あらゆる肉体の苦痛に襲われて弱っている時に、この人は完璧に幸福な人生はもちろん、幸福な人生にも少し欠けるだけだとはとても言えない。

九 [24]  テオフラストス(=ペリパトス派)はこの反論に耐えられなかった。彼は鞭打ちや拷問や苦痛、祖国の滅亡や追放、子供を失くすことには、人生を不幸にする大きな力があると考えるに至った。これは卑屈で惨めな考え方だったので、その後の彼はもう威厳を持って朗々と話すことはなくなってしまったんだ。

 彼の意見が正しいかどうかは別として、それが一貫性を持っているのは確かだ。私は前提を受け入れて結論だけ批判する積りはないんだよ。全ての哲学者の中で最も優雅で学識のあるこの哲学者が良い事には三種類ある(=心、肉体、運命あるいは外部)と言った時には、彼はそれほど批判にさらされなかった。ところが、彼が幸福な人生について本を書いて、その中で拷問台の上で責め苦に遭っている人は幸福ではありえない事を詳しく述べた時、哲学者たちから集中砲火を浴びたのだ。彼はその本の中で「幸福な人生は刑車(=ギリシャ人が使用した責め具の一種)には登らない」と言ったと見做されているんだ。実際にはテオフラストスはそうは言ってはいないが、そう言ったも同然だったからだ。

[25]  もし私がテオフラストスと同じく肉体の苦痛と不運を悪い事だと認めるなら、彼が悪い事だと言う事は全ての善人に起こる可能性があるから、全ての善人が幸福であるとは限らないと彼が言うのを私は非難できない。次に、テオフラストスが『カリステネス』という本の中で次のことわざを賞賛した時にも、哲学者たちは本や講演の中で次々と彼を非難した。

人生を支配するのは、人間の英知ではなく運命である。

 これほど女々しいことを言った哲学者はいないと言うのだ。確かにそのとおりである。しかし、私はこれほど筋の通った発言はないと思う。もしも数多くの良い事が肉体に依存し、それ以外の数多くの良い事が偶然と運命に依存しているなら、肉体に関わる出来事と外部の出来事の両方を支配する運命が人間の英知より力があるのは、理の当然だからだ。

[26]  かと言って、エピクロスの真似をするわけにもいかない。彼はいつも立派なことを言い触らしているが、自分の発言の一貫性には頓着しないからだ。例えば彼は簡素な生き方を賞賛している。確かにこれは哲学者にふさわしい事だが、ソクラテスやアンティステネス(=ソクラテスの弟子、犬儒派の祖)が言ったのならともかく、快楽が最高善だと言う人の言う事ではない。

 また、彼は「高潔に賢明に正しく生きていなければ、誰も楽しく生きることはできない」と言っている。これほど哲学者にふさわしい重みのある言葉はないと言いたいところだが、彼の言う「高潔に賢明に正しく」の目的は快楽なのだ。

 また「運命は賢者に対しては殆ど無力である」という言葉ほど立派なものはない。しかし、痛みが最大の悪であるだけでなく唯一の悪であると言っている人、運命に対して勝ち誇っている時にも全身の激しい痛みに苦しむかもしれない人が、こんな事を言うだろうか。

[27]  メトロドロス(=エピクロスの弟子)は同じことをもっとうまい言葉で次のように言っている。「運命よ、私はお前に勝った。お前を攻略して、侵入路を全て封鎖した。だから、お前はもう私には近づけないぞ」。不名誉なこと以外には悪い事はないと考えるキオ


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