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1] ブルータス君、トゥスクルム荘対談集はこの五日目で終わりです。この日私たちは特に君が勧めるテーマについて議論しました。君が非常に丁寧に書いて私に献呈してくれた本や、君と交わした数々の会話から、幸福に生きるためには徳だけで充分だと君が確信していることを私は知っています。運命が与える様々な数多くの苦しみの事を考えれば、その証明は難しいことです。それを難なくやり遂げるためには相当の努力が必要でしょう。なぜなら、このテーマを扱う言葉には、哲学が扱うどのテーマよりも高い格調と気品が求められるからです。

[2] というのは、最初に哲学の研究に従事した人々が、この問題のために他の全てを後回しにして、人生の最善の状態を追求することに専念した時、きっと彼らは幸福に生きることを望んで、この研究に熱意と労力を傾けたはずだからです。そして、もしも彼らによって徳という概念が発見され完成されて、幸福に生きるためには徳だけで充分だとなれば、彼らによって確立され私たちによって受け継がれてきたこの哲学という学問を誰もが讃えることでしょう。しかしながら、もしも徳が運命の奴隷で様々な予期せぬ災いに左右されて、自分自身を守る力を備えていないなら、幸福に生きる望みのためには、私たちは徳を頼みにするよりは、むしろ神に供物を捧げるべきだと思います。

[3] 実際、運命が私に課した厳しい試練を自ら顧みるとき、私は幸福に生きるためには徳だけで充分だとする考え方をしばしは疑い、人類の弱さ脆さに危惧を抱き始めていました。というのは、自然は私たちに弱い肉体を与え、その肉体に不治の病と耐え難い苦しみを付け加えて、その上に心を与えて、肉体の苦痛を味あわせるだけでなく、さらに苦悩と悲嘆に暮れさせようとしているのではないかと思ったからです。

[4] しかし、そんな気持ちの中で、私は徳の力を徳自体ではなく、人々の弱さ、いやおそらく私自身の弱さから評価しては駄目だと自分自身を叱りました。というのは、もし徳が存在するとすれば(この疑いについては、ブルータス君、君の伯父さんである小カトー氏が晴らしています)、それは人間に起こりうる全ての事柄を自分より下に置き、それらを見下して人間の運命を軽視し、どんな欠点もなく、当てになるのは自分だけと考えているはずだからです。一方、私たちといえば、近づく不幸を恐怖によって倍化させ、目の前の不幸を悲しみによって増幅させ、自分の過ちを責めずに世の中の仕組みを責めようとするのです。

二 [5] しかしながら、自分たちのこうした思い違いや諸々の欠点や過ちを治したければ、哲学を拠り所にすればいいのです。私は若い頃自分の意志で進んで哲学の懐に飛び込みましたが、逆巻く嵐に翻弄されて大きな不幸の真っ只中に投げ込まれた今、むかし旅立った同じ港に救いを求めて戻って来たのです。ああ、人生の先達、徳の探求者、悪徳の駆逐者である哲学よ。もしあなたがいなかったら、私だけでなく人々の暮らしはどうなっていたことでしょう。あなたは町を造り、ばらばらだった人々を共同生活に呼び入れ、最初は住居で、次には結婚で、やがて共通の文字と言語によって、人々を互いに結び合わせたのです。あなたは法律の発明者、倫理と秩序の教師だったのです。そしていま、私はあなたの助けを求めてあなたのもとに戻ってきたのです。以前の私は人生の大部分をあなたに委ねていましたが、今では人生の全てを


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