キケロ『ラエリウスあるいは友情について』

キケロー著『友情論』
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第一章 ラエリウスの友情論

卜占官クイントゥス・ムキウス・スカエウォラ(=前159〜88年)は義父のガイウス・ラエリウス(=前186年〜?)のことを思い出して楽しそうによく話してくれたが、どの話の中でもラエリウスを賢人とためらわずに呼んだものだ。僕は青年期になると父によってこのスカエウォラのもとに託されて、許される限り出来るだけ彼のそばを離れないようにしていた。そうやって僕は彼が思慮深く語った多くのこと、彼の簡潔で適切な多くの言葉を覚えて、彼の知恵にあやかって知識を高めようと努力したのである。彼が亡くなると僕は神祇官のスカエウォラ(=前117年執政官、170〜87年)の元に移った。この人は我が国ではその才能と高潔さで誰より優れた人だと言っていい。しかし、この人については別の所で話すとして、今は卜占官のスカエウォラに話を戻そう。1

この人の話はたくさん覚えているが、特に思い出深いのは、僕のほかに彼のごく親しい人たちを前にして、いつものように自宅の半円形の椅子に座って、その頃たまたま世間を賑わしていた話題に及んだ時のことだ。というのは、アッティクスよ、君はプブリウス・スルピキウス氏(=88年護民官、121〜88年)とは付き合いが長かったからきっと覚えていると思うが、護民官になった彼と執政官になったクイントゥス・ポンペイウス氏(=88年執政官〜88年)が、それまで無二の親友だったのに宿敵になってしまったことを、人々は大いに驚きあるいは悲嘆に暮れたのである。2

スカエウォラはその話題に及んだ時に、ラエリウスの友情論を僕達に披露してくれた。それは小スキピオ(=前185〜129年)が死んだ数日後にラエリウス(=57歳頃)がマルクス・ファンニウスの息子で彼の娘婿だったガイウス・ファンニウス(=前122年執政官)とスカエウォラ(=30歳)の2人に話したものだった。僕はこの対話の内容をよく覚えているので、それをこの本で僕なりのやり方で紹介した。というのは、僕はそれをいわば本人たちがしゃべるままに書いたのである。そのため、「僕は言う」とか「彼は言う」という言葉はあまり入ってこずに、対話がまるで目の前で行なわれているような印象を受けるだろう。3

アッティクス、君はいつも僕に友情について何か書くように勧めてくれる。実際、このテーマは僕達の友情にも相応しいし、みんなに知ってもらうにも値すると思う。そこで僕は喜んで君の依頼に応じて、多くの人の役にたちたいと思う。しかし、君のために老年について書いた『大カトー』では、最高齢でありながら誰よりも元気なカトー老人(=前234〜149年)以上に老年について語るのに相応しい人は見当たらなかったので、僕はカトー氏本人に語らせた。それと同じように、ラエリウスと小スキピオの友情ほど素晴らしいものはなかったと父祖たちから聞いているので、友情について語るのはラエリウスが相応しいと思う。この話をしたのがラエリウスであるのはスカエウォラが覚えていたことでもある。この種の話には昔の人のそれも高名な人が言ったことにしたほうが、どういうわけか話に重みが加わるように思われる。実際、僕自身の自分の書いた『老年について』を読んでいると、時々僕ではなくカトー老人が話していると思

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