キケロ作『アカデメイア派の哲学 第二巻』(ルクルス)

ツイート

テキストと英訳はこちら『アカデメイア派の哲学第一巻』(中山純男訳)はこちら。

キケロ(前106〜43)作『アカデメイア派の哲学 第二巻』(ルクルス)(前45年作)


I. ルキウス・ルクルス(118〜56)は豊かな才能の持ち主であり、学問への熱意も強く、高貴な生まれに相応しい学識を備えた人だったが、まさにローマの政界で花開くことができる時期に、ローマとは縁がなかった。というのは、まだ若いころ親孝行と献身をともにする弟と一緒に父親のかたきを討って名を上げた後、財務官として小アジアに旅立ち、長年の間立派にこの属州を統治していたからである。次に、彼はローマに帰らずに造営官に選ばれ、さらに(特別な法の優遇措置によって若くして)法務官に選ばれた。次にアフリカに行き、その後、執政官になった。彼のこの職務の遂行ぶりによって、誰もがその真面目さを賞賛し、その能力の高さを認めたものである。ついで、元老院によって第三次ミトリダテス戦争(73〜63)に派遣され、その勇敢さについて大方の予想を打ち破っただけでなく、前任者の栄誉にも優った。1

彼は指揮官としての手柄をそれほど期待されていなかっただけに、これは驚くべきことだった。というのも、彼は青春時代を法律の勉強をして過ごしたし、ムレナ(=ルキウス・リキニウス・ムレナ)が黒海で戦っている間(=第二次ミトリダテス戦争、83〜81)も、長いこと小アジアで財務官として平和に暮らしていたからである。けれども、彼の驚くほど豊かな才能は経験によって得た知識を必要としなかった。ローマを出発した時には軍事に関してずぶの素人だったルクルスは、陸路と海路の旅の間、経験者に質問したり歴史書を読んだりして、小アシアに着く頃には立派な将軍になっていたのである。なぜなら、ルクルスは事実の記憶力が人並み外れていたからである。言葉の記憶力はホルテンシウスほどではなかったが、実務においては言葉よりは事実の方が役に立つために、事実の記憶力の方が貴重なのである。ギリシアで最も優れた人であると誰もが認めるテミストクレスはこの記憶力がすぐれていたと言われている。テミストクレスは、当時広まり始めていた記憶術を教えてやろうと申し出た人(=詩人シモニデス)に、むしろ忘れる方法を教えて欲しいと言ったと伝えられている。彼は自分が見たこと聞いたことが何でも記憶の中に染み付いてしまったのである。ルクルスはこのような才能に恵まれていたが、その上にテミストクレスが軽蔑していた学問の知識も身につけた。つまり、人々が記録に残したいことを文字に書きつけるようにして、ルクルスは事実を心に刻み込んだのである。2

こうして、ルクルスは、あらゆる種類の戦争、即ち、戦闘、包囲戦、海戦において、またあらゆる戦争の装備と兵站に関して、非常に優れた将軍となった。それは、アレクサンダーなき後の最大の王(=ミトリダテス)が、ルクルスこそ話に聞く中では最も優れた将軍だと認めたほどである。それと同時に、彼はまた国の制度を定めて運営する知恵と公正さをもっており、小アシアでは今でもルクルスの制度が守られていて、彼の功績が慕われてい


FC2携帯変換について
->続きを表示
◆ツール
◆設定
▲上へ
このページはFC2携帯変換によってPC向けのページが携帯電話向けに変換されたものです
Powered by FC2